ARABAKI ROCK FES.16

2016 4/29金 4/30土 みちのく公園北地区 エコキャンプみちのく

2016 4/29金 4/30土 みちのく公園北地区 エコキャンプみちのく

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ARABAKI ROCK FEST.16
MICHINOKU PEACE SESSION
ON SATURDAY

BRAHMAN 「THE COVER」

2016年のMICHINOKU PEACE SESSION ON SATURDAY は、
結成22年目に突入したBRAHMANと開催16年目のARABAKI ROCK FEST.の共同企画によるスペシャルセッション。
テーマは“カバー”。

BRAHMANの4人との話し合いにより生まれたテーマである「THE COVER」は、ARABAKI PROJECTの推薦により、ゲストがBRAHMANの楽曲を本人たちの演奏によりカバーを行う企画と、ゲストとメンバーが選んだ思い入れのある楽曲をカバーする企画、2つの企画を柱に構成していきます。

間髪をいれずたたみかけるように演奏するBRAHMANの普段のライブとは異なり、様々なゲストが入れ替わり参加するセッションを構成していくにあたり決定した企画「THE COVER」には、”BRAHMANでしか成し得ないセッション企画を行いたい“という、メンバーとARABAKI PROJECTの信念が込められています。

[BRAHMAN]
Vo:TOSHI-LOW
Gt:KOHKI
Ba:MAKOTO
Dr:RONZI

[オープニングバンド]<NEW>
A MAN OF THE MICHINOKU

Vo:菅原卓郎(9mm Parabellum Bullet)
Gt:菅波栄純(THE BACK HORN)
Ba:中村和彦(9mm Parabellum Bullet)
Dr:松田晋二(THE BACK HORN)

[ゲスト]<NEW>
奥田民生
SION
チバユウスケ(The Birthday)
ハナレグミ
NAOKI(SA)
中納良恵&森雅樹(EGO-WRAPPIN')
中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)
宮本浩次(エレファントカシマシ)
山口洋(HEATWAVE)
山田将司&岡峰光舟(THE BACK HORN)
吉野寿(eastern youth)

BRAHMAN

95年、東京にて結成。都内を中心にライブ活動をスタートさせ、8月9日に下北沢シェルターで初ライブを行う。「TONGFARR」など4曲収録の「DEMO TAPE」を発表。'96年11月に初の正式音源「grope our way」をリリース (現在廃盤)。その後、ギターが脱退した為、しばらくは3ピースとしてライブとレコーディング活動を継続した。

97年10月、「WAIT AND WAIT」を発表。リリースに伴う初の全国ツアーも敢行し、成功を収める。98年、ギターのKOHKI が正式加入し、現在の編成となる。バンドのポジションを決定づけるきっかけのひとつとなったのは、98年8月に開催された“AIR JAM '98”。3 万人以上のオーディエンスを前に、セカンドステージのトリを飾った。そして、待望のフルアルバム「A MAN OF THE WORLD」を同年9 月にリリース。インディー流通作品ながら、外資系レコード店の総合チャートで1 位を獲得するなど、今も熱い支持を受けロングセールスを記録している。

99年9月には、活動のフィールドをメジャーへと移し、トイズファクトリーより初のシングル「deep / arrival time」をリリース。同年には“TIBETAN FREEDOM CONCERT”、“FUJI ROCK FESTIVAL”といった世界的なフェスにも参加し、その圧倒的なパフォーマンスで大きな存在感を見せつけた。同年10月〜00年2月には、全国30ヶ所に及ぶ全国ツアー“arrival”を行い、全箇所ソールドアウトを記録。国内のパンク・ハードコアシーンにおいて確固たる地位を確立した。

00年4月には“BAD FOOD STAFF TOUR”、8月には“RISING SUN ROCK FESTIVAL”と“AIR JAM 2000”、11月には“REVOLVERFLAVOUR”などに出演し、初見のオーディエンスを魅了。着々と新たなファンを獲得した。同じく8月23日には初のライブビデオ「craving」をリリースし、オリコンチャート1位を獲得(01年1月24日にDVD化し、再リリース)。11月に行われた全国5ヶ所をめぐるショートツアー“thirst”でも成功を収めた(全箇所即日ソールドアウト)。その後、スペイン・バスク地方の民族音楽グループ、アライツ・エタ・マイデルやアメリカのハードコア系バンドSHELTER とツアーを行うなど、海外アーティストとの共演も増え、アグレッシブなライブ活動を行った。

01年6月、約3年ぶりとなるフルアルバム「A FORLORN HOPE」をリリースし、オリコンチャート初登場2位をマーク。7月は“FUJI ROCK FESTIVAL”に出演 。8月からスタートした全国ツアー“hope against hope tour”は全34本にも及んだ。10月はスペイン・バスクでのライブを敢行。12月22日には「A FORLORN HOPE」のアナログ盤をリリースした。

02年は“hope against hope tour '02”と銘打った13本のライブと共に幕を開け、2月に赤坂ブリッツでツアーファイナルを迎えた。しかし、ツアーの余韻に酔いしれることなく、その後もバンドは活動の手を緩めなかった。4月にはイタリアの大御所パンクバンドBANDA BASSOTTI(バンダバソッティ) と共にイタリアツアー(ローマ、フィレンツェ他、全4公演) をまわる。圧巻だったのはローマ公演。1万人以上のオーディエンスを前に、日本と変わらぬ圧倒的な存在感を見せつけた。

帰国後、7月には“FUJI ROCK FESTIVAL”のメインステージで初のヘッドライナーを務めた。9月には野外フェスティバルを含む台湾ツアー(全4公演)、翌年03年2月にはUK ツアー(全5公演) も行い、ロンドンでは自身がメインアクトを務めたライブも成功させる。4月には2度目のイタリアツアー(全4公演) を敢行。

地道な活動が芽を結び、海外からのライブオファーが殺到したが、8月〜9月には過去に訪れたことのない土地や会場を回るというコンセプトツアー“TOUR '03-Hands and Feet”を行った。実に約1年半ぶりの全国ツアーとなった。さらに、10月には初の社会主義圏、中国・北京でのライブを敢行。怒号が飛び交い、ステージ向かって投石までされる中、堂々たるパフォーマンスと見せた。この模様は後日、読売新聞などの社会面でも報じられたほど注目を集め、いまだに伝説のライブとして語り継がれている。11月には初のフランスツアーに出向き、激動の03年を終えた。

ライブに明け暮れていた4人だが、その一方で音源制作も進めていた。04年9月に3rdアルバム「THE MIDDLE WAY」をリリース。04年10月〜 05年2月に行われたアルバムツアー“THE MIDDLE TOUGHT TOUR”では、全国56ヶ所を訪れ、各地でソールドアウトを記録。翌年05年3月には、イタリアとオーストリア含むヨーロッパツアーへ出発。6月にはその集大成とも言えるツアー“〜FINAL STAGE〜 CAUSATION”を無事に成功。7月には6年ぶりとなるシングル「CAUSATION」をリリースし、結成10周年イヤーを盛り上げた。“FUJI ROCK FESTIVAL”ではWHITE STAGE のヘッドライナー、“RISING SUN ROCK FESTIVAL”でもヘッドライナーを務め、日本ロックシーンに欠かせない存在として成長を遂げた。

06年6月には、実に6年ぶりとなるライブDVD「THEORIA」をリリースし、07年4月にはシングル「Handan's pillow / 逆光」をリリース (06年に行われたツアーファイナルの模様を収録)。さらに、08年2月には3年半ぶりとなる4thアルバム「ANTINOMY」を発表。最高傑作の呼び声高く、同作を引っ提げた全国41ヶ所に及ぶツアーを3〜7月で敢行。ツアーファイナル公演となった7月6日の東京JCB ホールでのライブは、伝説として語り継がれるであろう凄まじい一夜となった。その模様を完全ノーカットで収めた「THE THIRD ANTINOMY」は、ツアー120日間2,658時間を完全密着したドキュメンタリーと併せた2枚組として08年11月リリース。DVD音楽チャート1位を獲得した。

09年6月、初期作品(96年〜98年) を完全リ・レコーディングしたアルバム「ETERNAL RECURRENCE」をリリース。同年7月には “FUJI ROCKFESTIVAL”のメインステージにヘッドライナーとして登場。凄まじいパフォーマンスでオーディエンスを圧倒した。8月には初の海外公演の場でもあるスペイン・バスク地方で2度目のツアーを敢行。10年5月には、EGO-WRAPPIN’とコラボレートした作品「SURE SHOT」をリリースし、6月に東京と大阪で開催されたスペシャルライブも成功させた。

11年、3.11の東北地方大震災を受け、いち早く精力的な支援活動を開始。震災以後キャンセルが相次ぐ被災地のライブハウスへのライブ出演など、復興に向けて最も早く行動を起こしたバンドとして多くの支持を得た。同年夏、“ROCK IN JAPAN FESTIVAL”にて最終日のヘッドライナーを務め、オリジナル作品としては3年半ぶりとなる「霹靂」を9月に発表。この年、11年ぶりに開催された伝説のフェス“AIR JAM 2011”では、陰の立役者としてフェスの実現に尽力した。

12年、前年に引き続き、精力的に多くの人に震災や原発に対して自らの言葉で熱いメッセージを伝え、9月にシングル「露命」を発表。東北で行われた “AIR JAM 2012”でも歴史に語り継がれるようなライブを披露した。

13年2月、5年振りとなる5thアルバム「超克」をリリース。3月から行われた全国ツアー“TOUR 相克”の集大成として、幕張メッセ国際展示場にて“TOUR 相克 FINAL「超克」 the OCTAGON”を開催した。バンド初の試みとなるセンターステージスタイルで行われ、音響、照明、八角形のセンターステージ、そして会場を取り囲む八面の映像を駆使。圧倒的な一夜となった。その模様を収めたライブDVD/Blu-ray「超克 the OCTAGON」を10月にリリース。7月に行われた“FUJI ROCK FESTIVAL”では、初日のヘッドライナーを務めた。

14年5月から6月にかけて行われた“Tour 1080°”では、昨年行われた”TOUR 相克 FINAL「超克」 the OCTAGON”の世界観を表現すべく、幕張メッセで使用した八角形のステージを再現。前回に引き続き、東北を支援する仲間のブースと共に全国を回った。

15年は、普段ツアーバンドがあまり訪れない土地や、自身が訪れたことのないライブハウスを中心に、様々なコンセプトをもって行う“Tour -Hands and Feet-”から始動。6月にはフランスでショートツアーを敢行した。7月4日には箭内道彦が監督・撮影を務めるノンフィクションムービー、映画「ブラフマン」を公開。そして、公開直前の7月1日には同作の主題歌「其限 〜 sorekiri 〜」をリリース。映画は関係者の予想を上回る反響を呼び、2万人の動員を記録した。今年で結成20周年を迎える4人は、これまでの活動を総括するかのように音源、映像、ライブと精力的に動き回り、8月12日に20th Anniversary Album「尽未来際」を発表した。それと並行して、「尽未来際」を冠に据えた3つの20th Anniversary Liveシリーズをスタートさせた。シリーズ一発目は「尽未来際 〜開闢〜」。彼らが初ライブを行った下北沢SHELTERを始めとした3ヶ所で開催された。続く「尽未来際 〜畏友〜」では盟友たちとの2マンライブを全国8ヶ所で行った。そして、最後は「尽未来際 〜尽未来祭〜」。幕張メッセにて2日間にわたって行われたこの"祭”には、Hi-STANDARDやSUPER STUPIDをはじめとした計21バンドが出演した。